2014年御翼9月号その2

1940年オリンピック物語

  

一 愛の重要性  
「愛は世界の病に対する薬である」と精神医学の権威カール・メニンガー(アメリカの精神科医)が言っています。また、心理学・カウンセリングの権威だったカール・ロジャーズ(アメリカの臨床心理学者)は、心理療法士の訓練を受けにきた人たちについて、「愛を持っている人はすぐに訓練することができる。愛を持っていない人はどんなに訓練しても、実際に役に立つ心理療法士になることはできない」と言いました。神は私たちを愛の対象として造られ、また私たちが神に愛され、神を愛し、人を愛し、人に愛される者、愛の交わりの中に生きる者として造られたのです(Uペテロ1・4)。
二 愛の本質とは何か
ヨハネの手紙第一4章9節には、「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです」とあります。これは感情的な「愛」ではありません。愛する対象の人を喜ばせたいという熱心な熱望のゆえに自分のすべてをそこにささげる愛です。 
日本語では、親子の愛も男女の恋愛感情も、同じ漢字の「愛」という一字で表すために、「愛」という言葉で神の愛を表すのには不十分ではないかと思われるのです。しかし、この「愛」を昔は「かなし」、「めぐし」と読み、もともとは「見苦しい(かわいそうで見ていられない)」というのが「めぐし」ということなのです。つまり、相手の状態が気の毒で放っておけない、それを考えると悲しいというのが、「愛」という漢字の意味だったのです。そうだとすれば、私たちが罪の中に滅んでいこうとするのを見て深くあわれみ、見てはいられないというわけで御子をこの世に遣わされ、その十字架の死によって救いの道を開いてくださった神の愛を表すのに、この「愛」という字はむしろ相応しいと言えるのです。
三 どのように私たちは愛することができるでしょうか。
神が赦してくださったように赦すことです。Tペテロ4・8には「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです」と、記されています。私たちは朝いただいた神の愛のエネルギーでその日一日、ほほえみをもって人に接しているでしょうか。人を励ます言葉を語っているでしょうか。  
土屋順一『人生を豊かにする9つの習慣』より

 世界平和の象徴がオリンピックである。1964年の東京オリンピックは、アジア地域で初めての、そして有色人種国家における史上初のオリンピックであった。歴史的には、第二次世界大戦で敗戦し急速な復活を遂げた日本が、再び国際社会の中心に復帰するシンボル的な意味を持った。また、1940年代から1960年代にかけてヨーロッパ諸国やアメリカによる植民地支配を破り、次々と独立を成し遂げたアジアやアフリカ諸国による初出場が相次ぎ、過去最高の出場国数となった。日本が実施すると、オリンピックも素晴らしいものになる。
 2020年に東京で再びオリンピックが開催されることが決まったが、これが三度目のオリンピックだったはずであることを御存知だろうか。1940年(昭和15年)、当時の東京市の駒沢を会場に、オリンピックが開催されることが昭和十年頃に決まっていた。1940年は皇紀2600年であり、それを祝うことと、1923年の関東大震災からの復興を完全に成し遂げることを目的としていた。ところが、昭和十二年から日中戦争が始まり、陸軍がオリンピック開催を反対し始め、開催の二年前の昭和13年、オリンピック史上初めて、日本は開催を返上してしまう。開催地は東京からフィンランドのヘルシンキに変更されたが、第二次世界大戦の悪化により、結局オリンピックそのものが中止となった。陸上一万メートルでオリンピック出場が決まっていた山下 勝(まさる)は、箱根駅伝の三区で区間新記録を出し、専修大学を初優勝に導いた選手であった。陸上界の「至宝」と呼ばれていた山下選手は、陸軍に一等兵として徴兵され、昭和十七年、二四歳で中国戦線(河北)にて「壮烈な戦死」をした。しかし、山下選手の名を知る者は誰もいない。過去にオリンピックに出場した選手で、戦場に散った選手は34人に上るという。あの時代、その名前さえたどることのできない、もっと多くの「山下選手」がいたはずである。
 誠実、勤勉、そして技術力もある日本が、平和の祭典を行えば、世界を驚かせる偉業を達成できる。日本に与えられた賜物や特権を、正しく用いる責任が私たちには負わせられている。

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